日経新聞毎週土曜日の「平成の30年陶酔のさきに」 が面白い。
少し古くなるが、2018年8月11日付けのコラムは「流通の主役交代」だった。ユニクロのことに触れている。
「平成初の決算となった1989年8月期のユニクロの売上高はわずか41億円。だが、ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長はこの頃には洋服の概念をがらりと変える構想を固めている。「街中から洋服屋が減っているのは青山商事やAOKIが増えたからではない。消費者のライフスタイルが変わったからだ」。それまで衣料品は「逸品モノ」を買うという発想が強く、アパレルを中心にブランド品はステータスシンボルと位置づけられていた。
柳井氏は海外の動きからその流れは続かないと予感。衣料品もカジュアル化が進むとの見通しからユニクロを立ち上げた。(中略)
柳井氏は「服に個性は要らない」とまで言い切る。服が主役ではない。部品を着こなし、個性を発揮する人そのものが主人公になるという意味だ。」(日経新聞より筆者、抜粋)
ユニクロの商品を筆者も2年位前から少しずつ購入している。これといった個性はないが、値段の割に着心地や縫製にもこだわり、コストパフォーマンスは確かに良い。
しかし、就職活動シーズンの大学生の服装を見るにつけ、少なくとも日本で近い将来、その人が身につけているものではなく、その人自身の個性で勝負するような社会が来るとは思われない。
やはり、その他大勢から自分を自分を区別してもらうツールとしてはブランドものを身につける、という行為は減ることはあっても無くなることはないと思う。それは大昔からの古今東西、人間の習性のようなものだと思う。
古代エジプト時代の金の装飾品、信長、秀吉の時代では茶器の収集、近世の西洋ではダイヤモンドのティアラ、現代では高級腕時計やイタリア生地を使ったスーツなど、他の人よりも自分が上という事を示すために、ブランドものは常に利用されてきた。
ずっと前に読んだ
「豊かさの精神病理」(大平健著)にブランドにお金を注ぎ込むことで「自分はいかに他の人とは違うか」をアピールしている若い女性の話が出ていたのを思い出した。
プラダを着た悪魔 でも
"Fashion is not about utility. Accessories is a piece of iconography to use to express individual identity
ファッションは利便性じゃない。アクセサリーは、アイデンティティの象徴だよ。"
という妙に納得したセリフが記憶に残っている。